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『子育ての環(わ)』インタビュー

藤ノ木拓磨さん

スタジオ パパパ
東京藝術大学卒
藤ノ木 拓磨さん

Q:芸術の道に目覚めたきっかけを教えてください

最初のきっかけは中学2~3年生ぐらいの頃だったと思います。当時は家にいる時間が多くて、その時間で音楽を聞いたりたくさんの映画を観たりしていたのですが、いつの日か自分で川柳を書くようになったんです。川柳を書くと情景が浮かんできて、それを絵にするのにハマっていました。川柳と絵をセットで自分のノートに綴っていたのです。そのノートをたまたま学校の先生に見られた時に「お前すごいじゃん」と褒められたことがあって、それがちょうど進路を考える時期だったので、絵を学びたいと思う最初のきっかけとなりました。もともと小学生の頃から賞をたくさん取っていたのですが、その頃はまだ絵が好きというわけではありませんでした。才能があったというわけでもないと思います。何が評価されるかというと、自己表現力なのです。例えば、「恐竜の絵を描いてください」という先生の課題を受けて、周りのみんなが鱗とかも描きながらそれなりに一般的なイメージを再現しているのに対して、僕は四角い恐竜を描きました。みんなと違くってもいいという考えがあったので、それが個性として評価されたのだと思います。

中学を卒業したら美術コースがある高校へ進学して、美術部で三年間絵を描き続けました。そして、大学の進路を決める時になって「どうせやるなら一番がいい」と決心し、東京藝術大学を目指しました。一度落ちてしまい浪人をしていた時は、とにかく「見る」「学ぶ」「書く」というサイクルを1年間毎日がむしゃらに頑張っていましたね。朝起きてすぐにごはんを食べながらごはんの絵を描いて、食べ終わったら予備校へ向かうバスの中で人の絵を描く。予備校についても絵を描いて、19時ぐらいになると走ってマクドナルドへ行き、お店に訪れる人の絵を描いていました。食べ終わったら今度は図書館へ行って、A~Zまでひたすらあらゆる画家の画集を読みましたね。よく誰に影響を受けたかという質問をお受けするのですが、とにかく次から次へと読んでいたので、具体的に誰の絵が好きかなどはパっと思いつきません。

藤ノ木拓磨さん

Q:東京藝術大学に入学して最初に取り組んだこと

芸大に入るとみんなアーティストを目指します。作家とか芸術家とか、様々な形がありますけども。具体的にどう目指すかというと、ギャラリーに入ったり、国際展に展示したり、そういったキャリアを積んでいくのが王道のコースです。もちろん僕もアーティストを目指していたので、1年生の頃からがむしゃらに作品を作りつづけて、展示もしました。他にも中堅の作家さんのお手伝いに行ったり、とにかく現場に足を運びましたね。その一方で、みんなとは違うやり方で成り上がる方法を模索していたのです。

そうして色々な活動をしていく中で、やがて自分のアトリエが欲しいなと思うようになりました。というのも、芸大は1年間のうち1/3がお休みになっているので、学校のアトリエを自由に使えないジレンマがあったからです。そこで、自分だけではなく20~30人で資金を出し合って、大きい廃工場を借りることを思いつきました。自分だけでなくみんなのアトリエにして、制作も展示もすることによって、若手のムーヴメントを起こせるといいな、という漠然とした目的で物件を探し始めました。当時は無知だったので、「初期費用ってこんなかかるんだ」と最初は驚きましたね(笑)。当然なかなかいい物件は見つかりませんでした。そこでまず資金の運営計画を真面目に考えることから始めて、みんなで話し合いを進めていくうちに「スタジオの一角で美術教室を開いて、制作の片手間で教えればいいじゃん」と気づいたのです。「教室でいくらか稼いで、さらにメンバーが一人1万円程出せば初期費用と運転資金ぐらいは賄えるんじゃないの」と、今考えればかなり甘っちょろい考えだと思いますが、とにかく動き出しました。

そうして不動産屋をまわったり、知り合いのツテを頼んでみたり、なんやかんや動き回っているうちに、運命が味方してくれたのです。たまたまご縁のあった、知り合いの知り合いにあたる建築家さんから「埼玉の越谷に、住居もスタジオも複合した集合住宅を建てるから、借りてくれない?」とご提案頂いたのです。どうやらスタジオの使い道に困っているようでした。僕たちには計画があって場所がない。向こうには場所があるけど計画がない。まさにマッチングです。色々と話し合いを進めて、念願の美術教室を開くことができたのです。これが1年生の夏頃でした。

スタジオパパパ外装
スタジオパパパ内装

Q:越谷の美術教室から、パパパになるまで

越谷の美術教室で何が画期的だったかというと、誰でも来ていいし、いつ来てもいいし、いつ帰ってもいいという自由なところです。2歳から70歳、80歳の方まで本当に色々な層の方が来ました。そこでコミュニケーションを取っていくうちに、子供たちの置かれている状況とか、高齢者の方々の生活とか、リアルな実状を知ってとても驚きました。特に驚いたのが子供たちの生活です。毎日塾に通っていたり、外で遊ぶ機会が少なったり、とにかく活動している中で窮屈そうな印象を肌身で感じたのです。良くも悪くも、自分の子供時代とはかけ離れていました。「今の子供は好きなことができないんだな、大人ありきの生活なんだな、そういうのってどうなんだろうな」と色々な疑問がでてきて、気になってしまったのです。それはあくまで僕の主観に過ぎないので、より視野を広げるために、プレーパークや学童保育など子供が集まる場所に行って、子供が置かれている社会的環境を、自分なりにリサーチすることから始めてみました

そこで分かったのは、大人たちが子供の失敗を恐れるばかりに「失敗が肯定される場所が少ない」ということです。もちろん、その教育が間違っているとは思いませんが、少なくとも美術やアートの世界は失敗ありきなのです。常に選択が溢れている中で、何か一つを自分で選択しなくてはなりません。そういった面から考えると、子供が自由に失敗ができる場所がもっと必要なのではないかと僕は感じたのです。

さらに、子供が一番楽しい時ってなんだろうなとシンプルに考えたとき、「大人の目を盗んで何かをやっている時」だったり、「誰にも邪魔をされずに好きなことをやっている時」だと僕は思ったのです。そういった風に、子供が今この瞬間「楽しい!」「幸せ!」と思えるような場所を東京に増やしたいと考え始めました。お母さんやお父さんの願いも本質的にはそうなのではないかと僕は思っています。学力をあげさせたいとか、運動神経を良くさせたいとか色々ありますが、突き詰めれば子供が「幸せだ!」と自分で言うことが、親の幸せでもあるのではないかと思いました。そこで、少しでも自分にできることはないかと考えを詰めていった時、気づいたらもう大学3年生ぐらいで、卒業が間近だったのです。

越谷の美術教室では雇われ店長のような形だったので、自分でもう一度この教室を練り直してみようと決意しました。子供の為の、子供だけの場所。それがスタジオパパパの原点です。

壁に絵具で絵を描く子ども
絵具で遊ぶ子どもたち
自由な創作を楽しむ子どもたち
段ボールに絵具を塗る子ども

Q:スタジオパパパについて、詳しく教えてください

今は3つのコースに分けて運営しています。幼児から小学生までを対象とした「やりたい放題コース」、小学生全学年を対象とした「クリエイティブシンキングコース」、小学5年生~中高生を対象とした「フリーカリキュラムコース」です。「やりたい放題コース」では、その名の通り、子供たちのやりたいこと、作りたいものをとことん自由に追求してもらいます。少し上のステージに進んで、他者とのコミュニケーションを重視したのが「クリエイティブシンキングコース」。ここでは東京藝術大学の授業内容を応用した独自のカリキュラムを100種類以上用意しています。そして「フリーカリキュラムコース」は、受験対策や本格的なデッサンを学びたい子供の為に用意しています。

『スタジオパパパ』では、年に2回保護者に向けたアンケートを実施しています。中でも多いのが「パパパで何をしているのか分からないけど、凄く楽しいと言っているのが嬉しい」という回答ですね。あとは、「パパパにはやく行きたい一心で宿題をはやく終わらせるようになった」といったお言葉も頂きます。目に見える形で何かが劇的に変わったという意見は少ないですし、僕から見てもあまり無いケースだと思います。でも、それでいいのです。僕が育てたいのは、子供がもともと持っているポテンシャル、つまり個性だからです。例えば今の日本の教育システムは、基本的に積み上げ式ですよね? 生きる上で必要とされる知識や経験を積み上げていって、数字で成果を評価する。それが小・中・高でサイクルとなって、成立しているように感じます。ところが、そういった積み上げ式で成長していく過程の中で、横に伸びていく力にはあまり意識を注がれていないようなイメージがあります。このイメージにも僕なりにリサーチした根拠はあります。以前、0歳から1歳の子供が60人ぐらい集まるイベントに参加したことがあって、そこで絵本の読み聞かせをやったのですが、驚いたことに、赤ちゃんにもそれぞれはっきりと個性があるのです。全員キャラクターが違いました。動き方や泣き方、視線など、最初から容姿以外に持っている個性をアピールしていたのです。これが小・中学校、高校と上がっていくにつれて、みんな似ていくということに気づいたのです。個性を失くしてしまうのです。もちろん、社会への適応という意味で、積み上げ式の教育も大切なのですが、そこで削がれてしまうポテンシャルの部分を少しでも多く拾っていきたいというのが、『スタジオパパパ』の一番の願いです。

現に日本の教育課程でも、そういった「答えのない問題を考える力」を養うシステムが増えてきてはいるものの、まだまだ足りていません。そこからさらに増やしていくことが自分の役割だと思っています。

ベンチを使って創作活動をする子ども
創作のお面をかぶる子ども
スケッチをする女性
果物のスケッチ

Q:なぜ最初の教室が大泉学園だったのですか?

最初はフィーリングでした。「こういった教室を開きたい」と色々な方々に聞いてまわっていた時に、ちょうど知り合いで大家をやっている方がいて、物件見せてくれたのです。一目見て「ここいいな」と即決しました。当時はまだ学生だったのですが、普通はこういったテナントを学生なんかに貸してはくれないので、運が良かったと思います。ここなら学割も効くし、大家さんが知り合いということで信用もあったので。また、後から聞いたことなのですが、このあたりは今、子供の人数が増えているそうです。もともと大泉学園町は大きなお屋敷が多いのですが、そこが多くの戸建分譲地に生まれ変わっていることが大きな要因だと思います。ファミリー向けの一戸建がたくさん建って、子育て世帯が移住してきたのです。事前にこの情報を知っていたわけではないのですが、今考えてみれば、若い子育て世帯の多い地域の需要と、「スタジオパパパ」のコンセプトがマッチしていたのではないかと思います。

Q:大泉学園の魅力について教えてください

今では大好きな街になりました。とにかく治安が良くて、みんなのびのびとしているように感じます。僕が育った地域が荒れ気味だったというギャップもあるのですが(笑)。大きな公園が多いというのも、住民がのびのびとしている要因の一つだと思います。大泉中央公園、石神井公園、光が丘公園の3つは特に大きくて、緑が多く景観も美しいですね。あとは、都心に近い場所なのに畑が多いというのも特徴的だと思います。白石農園という練馬区内でも規模の大きな農園があり、いち早く体験農園として畑のシェアを始めたのです。学校給食への食材提供や小学校の体験学習受け入れなど地域と連携していますね。パパパもそこで一年間シェア畑をやっていました。新鮮な野菜がたくさん取れ過ぎて食べきれなかったので、ご近所や知り合いに配っていたぐらいです(笑)。練馬区にはそういった形で地域を盛り上げようと積極的に活動している方が多い印象を受けますね。例えば、「R(アーーーーール)」というカフェ・シェアオフィスなど地域経済活性の観点から社会課題の解決に取り組んでいるプロジェクトもあります。ワークショップをやっている方を集めて人脈を繋いだりしているようです。他にも、「あちこち屋」という福祉事業所が運営しているチョコレートショップなど面白いことをしている方々がたくさんいらっしゃいます。そういった人と人のつながりを強めようとする動きが、暮らしやすい環境をつくっているのかもしれません。

藤ノ木拓磨さん
使い込まれた絵筆
絵具がたくさんついた手洗い場
天井のアート
カラフルな絵具

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