『子育ての環(わ)』インタビュー
ロールパン文庫
小松原 宏子さん
with 会員の方々
練馬区立富士見台小学校のすぐそばで、近隣の子どもやそのお母さんに本を貸し出し、月に一度のおはなし会を開催しているロールパン文庫。ここは“家庭文庫”と呼ばれ、本を身近で楽しみたい地域の人々へ向けて個人の自宅を開放する、民間の小さな図書館のような場所です。主宰者である小松原宏子さんは、現在作家・翻訳家としてもご活躍されている文化人ですが、彼女もまたかつて、“家庭文庫”に育てられたひとりの子どもでした。今回は、小松原さんを中心とするロールパン文庫会員の方々、そして近隣であんぱん文庫を開庫している山形さん、「ねりま地域文庫読書サークル連絡会」代表の木村さん、世話人である北さんに、深くお話を伺ってきました。まずは取材にご協力頂いた方々のご紹介からご覧ください。
インタビューさせていただきました
山内 敦子 さん
(ロールパン文庫メンバー)
持田 郁子 さん
(ロールパン文庫メンバー)
尾形 春子 さん
(ロールパン文庫メンバー)
山形 ひとみ さん
(ロールパン文庫メンバー)
岸田 安見 さん
(ロールパン文庫メンバー)
片岡 知子 さん
(ロールパン文庫メンバー)
北 美智子 さん
(文庫連絡会世話人&
ロールパン文庫メンバー)
木村 典子 さん
(文庫連絡会代表)
「子どもたちにもっと本を読ませてあげたい」
こんなささやかな願いを強く抱いたお母さんたちの活動は、その歴史を辿ると、なんと1940年代の戦後まで遡ります。ここ練馬区では最もはやい家庭文庫として、1964年に阿部信子さん主宰の石神井ひまわり文庫が開庫されました。そして翌年の1965年、児童文学作家である石井桃子さんの著書『子どもの図書館』が出版されることによって、民間の児童図書館運動は加速していきました。 同年に『ながいながいペンギンのはなし』『北極のムーシカミーシカ』などで知られる児童文学作家のいぬいとみこさん、松永ふみ子さんによって、ムーシカ文庫が開庫されました。このムーシカ文庫こそが、ロールパン文庫を主宰する小松原さんの源流となっているのです。
Q:ムーシカ文庫と小松原さんのご関係を教えてください。
小松原 さん
いぬいとみこ先生が練馬で開庫したムーシカ文庫が地域文庫(公共施設の場を借りて開かれた文庫)だった時期から、ひとりの子どもとして通っていました。家庭文庫になってからの年月もあわせると、20年以上続いた文庫なのですが、わたしはほぼ始めから終わりまで通い続けていました。地域文庫はどこかに場所をお借りするものなので、はじめはある幼稚園の一室で行われていました。やがてその幼稚園が閉園になってしまい、次は銀行。そこでもまた立ち退きを命ぜられたいぬい先生は、翻訳家の松永ふみ子先生とともに小さい家を建て、ムーシカ文庫を家庭文庫にしました。その頃私は高校生ぐらいの年齢になっていたので、もう立場的にはお姉さんでしたね。でも、どんなに大きくなっても顔を出したくなってしまうのです。なんだかんだで文庫の最期まで顔を出していました。それから結婚をして、子どもを産み、子どもを抱いてムーシカ文庫へ行った最初で最後の文庫生となりました。けれども、まだ私の子どもが小さい頃に、いぬい先生は文庫を閉じられ、入院先の病院でご逝去されたのです。私も一時期大阪に住んだりしていたのですが、最終的には実家の近くである練馬のこの場所に家を購入しました。小学校がすぐ側にあることもあって、「ここで私も文庫を開いてみようかな」と思い始めたのがロールパン文庫を開くことになった最初のきっかけです。この小学校に通う娘の友だちが家に遊びに来たとき、その辺に並べておいた本を勝手に読み始めたんですね。なんかこう、ちっちゃい子どもが床にぺたっと座って本を広げている姿を見て、ムーシカ文庫が懐かしくなったのです。「そんなに読みたいならここにある本みんなに貸してあげるよ」と言ったのが始まりですね。一人でも多くの子どもが読んでくれるのであれば、本も生きるかなと思ったのです。ただ持っていても埃をかぶるだけですからね。大切にしまい込んでいて自分の子どもにすらあまり触らせていなかった本もあったのですが、その時、何十年も前の思い出がフラッシュバックしたのです。
Q:ロールパン文庫はムーシカ文庫を引き継いだのでしょうか?
小松原 さん
直接引き継いだわけではありません。いぬい先生とともにムーシカ文庫を支えていた松永ふみ子先生の遺品である蔵書をたくさん頂き、それでスタートできたのです。そのとき頂いた蔵書は古くなってしまって今はもうほとんど置いていないのですが、ともかく最初は本がないと文庫は開けませんから。実はあまり知られていないのですが、ロールパン文庫には「松永ふみ子記念文庫」という名前が付いています。ロールパンという言葉は、ふみ子先生が翻訳したE・L・カニグズバーグの本『ロールパン・チームの作戦』からいただきました。この本は岩波書店から出版されているのですが、今は『ベーグル・チームの作戦』と邦題が変更されています。原題に忠実に訳すとベーグル・チームが正しいのですが、松永先生が翻訳をした当時は、ベーグルという食べ物が日本に馴染み深くなかったのです。先生が亡くなられたあと、日本にベーグルが浸透した時に、出版社が内容は松永先生の翻訳のまま邦題だけを変更しています。でも私の思い出はロールパンという邦題とともにあるので、何かのかたちでその名を残したくてロールパン文庫と名付けました。
いぬい先生のムーシカ文庫はご自身の作品である『北極のムーシカミーシカ』から取られていて、今引き継いでいるのは栃木県の益子にあるまーしこ・むーしか文庫です。いぬい先生がお亡くなりになられた当時は、私は幼い子どもの面倒をみるのに手いっぱいでしたので、文庫を開くなんてとてもできない状況でした。やっぱりタイミングって大切です。
『北極のムーシカミーシカ』
著: いぬい とみこ
絵:瀬川 康男
出版:理論社
『ロールパン・チームの作戦』
著: E.L.カニグズバーグ
訳:松永 ふみ子
出版:岩波書店
Q:小松原さんはどのような作品を書かれているのですか?
小松原 さん
主に、ファンタジー系の読み物を書いています。といっても、まったくの異世界を書くというわけではなく、普通の暮らしと隣り合わせになったファンタジーを書くことが多いですね。
最初の出版は2007年でした。「夢銀行」をひらいたバクの話です。人間のいい夢をあずかって、利子としてちょっとしたおまけをつけてあげます。花の夢を見た人には花の種類をふやしてあげたり、星の夢を見た人には星の輝きを増してあげたり、というように。その代わりに、悪い夢を見た人からはその夢をもらって食べるんです。
また、廃校になった小学校がホテルになるおはなしもあります。教室が客室になったり、泊まったお客さんが図書館で本を読んでいたり、給食室でご飯を作っていたり。
ファンタジー以外に、学園ものも書いています。今執筆中の、いろいろな委員を主人公にしたシリーズは、現在3巻まで出たところですが、10巻まで続く予定です。
翻訳の方では、実を言うと昨日新作が発売されました。海外では何百万部と売れていた人気絵本シリーズの第5作目ですね。イギリスの科学絵本です。例えば「このふたりはもうすぐおとうさんとおかあさんになる。あかちゃんはどこにいるのかな」と、夫婦の絵が描いてあるページは、その絵に裏面からライトの光を当てると、胎児の絵が透けて見えるような仕組みになっています。何か特別な仕掛けがあるわけではなく、ただ裏が白黒になっているだけなのですが、とても良いアイデアですよね。他にも、「どうして背がのびるのかな」と書いてあるページに描かれた絵を照らすと、骨の絵が透けて見える。もちろん、ただめくるだけでも楽しめるようになっています。このシリーズが海外では大人気で、本国ではもう20作以上出版されています。
『みえた! からだのなか (ひかりではっけん) 』
著: レイチェル・サンダース、キャロン・ブラウン
監修:山内 慶太 訳:小松原 宏子
出版:くもん出版
https://www.amazon.co.jp/dp/4774327417
Q:古い本の翻訳はどうしていますか?
言葉がわかりづらくて、今の子どもに読めないこともあったりするのでしょうか?
小松原 さん
版権が切れている本は新しい翻訳で出版されていますが、今の子どもはそちらの方が読みやすいと思います。ただやっぱり、私たちは子どもの頃に読んだ翻訳がその作品として染みついていますね。例えば、『星の王子さま』は内藤濯さんの翻訳でないと頭が受けつけませんし、『長くつ下のピッピ』は大塚勇三さん、『赤毛のアン』は村岡花子さんの翻訳でないとダメです(笑)。もちろん、新しい翻訳がでるのはいいことだと思います。そこが翻訳の強みですから。日本人が書いた言葉は変えられません。例えば宮沢賢治の文体がいくら古くても書き直すわけにはいきません。でも、翻訳が古いぶんには、原書は同じまま今の言葉に置き換えることができます。実はちょうど『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の翻訳の仕事を終えたところで、今年(2022年)の8月出版となりました。アリスに関してはこれまで何十人もの方が訳されていますが、それぞれ訳文が違いますよね。これは翻訳作品にしかない魅力だと思います。
Q:月に一度開催されているというおはなし会の様子はいかがでしょうか?
小松原 さん
基本的には大人も子どももおはなしが好きですよね。もちろん幼い子どもの中には走り回って集中できない子もいますが、そういった子も毎月通っていくうちに、いつの間にか座っておはなしを聞くようになるのです。また、走り回りながらもちょこちょこ読み聞かせている本を覗きにきたりもして、耳ではずっと聞いているのではないかと思っています。これまでおはなし会は130回以上開催していて、一日中誰ひとり来なかった、ということはありませんでした。ただ、一日三回開かれる中で誰も来ない時間があるということはありました。その時は、練習も兼ねて大人だけでメンバーが読むのを聞き合ったのですが、私も含めて、皆さん純粋に楽しんでいました。
おはなし会に、お邪魔させていただきました!
Q:幼い頃から本に触れることによって、子どもの将来にどのような影響がでると思いますか?
小松原 さん
私はやっぱり、小さい頃から本を読んで育つと幸せな大人になると信じています。ムーシカ文庫の卒業生と今になって横のつながりができているのですが、50歳、60歳と歳を重ね、皆さん本とはまったく関係のないご職業に就いていても、それぞれの場で力強く自立してご活躍されていますね。小さい頃から物語に触れていると、希望といいますか、前向きな気持ちを持った子どもがそのまま大人になれるのではないかと個人的には感じています。もちろん、皆さん生きていれば悲しいことや苦しいこともたくさんあると思うのですが、物語の登場人物たちはみんなそういったことを乗り越えていきますよね。最初から最後までずっと幸せな人はいないと思いますが、物語を読んでいると、「今つらくてもこの先に希望がある」と信じることができる人になれるのではないかと思うのです。少なくとも私の知る限りでは、皆さんそれぞれの道で幸せになっているように見えます。理系のエンジニア、いかついおじさん、バリバリのキャリアウーマンなど、一見「子どもの頃本を読んでいたの?」と思われそうな方にも、昔から本を読んでいた人にはなんとなく自分と似た雰囲気を感じることがあります。大人になってから知り合ったのに、ずいぶん昔から知っているような気がすることもあります。
私の友人に、息子さんが中学生になるまで読み聞かせをしていたという方がいるのですが、その子は現役で東工大に入学しました。それを聞いた時、やっぱり言葉って理系でも大切なんだなと思いましたね。最後は言葉の力というか、理系のすぐれた方は、文系の人同様に、もしかしたらそれ以上に、たくさんの本を読んでいます。
Q:ほかの方々はどうでしょうか?
山内 さん
小松原先生がおっしゃったように、自分が物語の中の主人公に重なった気持ちで、色々な困難を乗り越えることができたという経験はあります。そういった経験によってまた希望が見えてきます。
私も自分の子どもが小さいときに読み聞かせをしていたのですが、その子どもが大きくなってから一緒に本屋さんに行くと、「ああこれ知ってる」「昔読んでもらったな」と言ってくれるのです。おはなし会の読み聞かせの練習を自宅でしていたとき、当時大学生になった上の子が「ああ、懐かしいこの声」って言ったことがあります。お母さんの声を毎日聞いている筈なのに、読み聞かせの「声」を特別な思い出として覚えているのです。それが私にとって嬉しいことでしたし、今度は息子が親になった時にも、引き継いでいって欲しいなと思っています。
小松原 さん
山内さんの息子さんは、今はもう社会人ですが、青年海外協力隊員として、世界を舞台にご活躍されています。その前から海外のいろいろな地域でボランティアもされていましたし。人のために働くやさしい子です。
持田 さん
私は子どもに読み聞かせるというよりも、ここに通っている小さなお子さんたちに接するだけなのですが、ここに来ることによって「あ、これ昔読んだな」と読み返してみたくなり、自分自身も楽しんでいます。幼い頃は両親に用事を言いつけられるのが嫌で、隠れて本を読んでいました。それぐらい本が好きだったので、ここにいる子どもたちが「読み聞かせ」という形で自然と本を楽しめることは、とても良いことだと思います。未だに自宅にもたくさんの本がありますが、読まなくなった本はロールパン文庫へ寄贈しています。それをまた次の世代の子どもが読んでいる光景を見るとつながりを感じて、家庭文庫ってすばらしいなと思います。
尾形 さん
私は子どもがいませんので、皆さんとは少し視点が違うと思いますが、やっぱり子どもの頃に読み聞かせてもらった本はずっと覚えていますよね。
私が好きな、とあるアナウンサーが、「幸せな思い出はなんですか?」というインタビューを受けて「母親が中学生の頃まで読み聞かせをしてくれた。それによって自分は言葉に関わる仕事がしたくなった。そういう母親に育てられたことが一番幸せです」と仰っていたのですが、とても心に響きましたね。
今こちらにいらっしゃっている方々は、もう大人といいますか、シルバーに近いようなご年齢ですが、子どもの為はもちろん、自分自身が満たされている部分がおありかと思います。クラシックからスタンダードなもの、諳んじられるような本もありますが、毎回皆さんが読んでくださる色々な絵本、新しい視点がどんどん自分の中に堆積されていくことで、大人もしあわせな時間を享受されているなと感じます。
小松原 さん
子ども向けの本はハッピーエンドが多いので、希望がもてるのです。だからいいのかもしれません。
ロールパン文庫のおはなし会では、私がプログラムを決めるのではなく、皆さんに各自好きな本を持って読み聞かせてくださいとお願いしています。なので、自分自身も観客になって、「今日は誰がどんな本を持って聞かせてくれるのかしら」とワクワクしています。毎回がびっくり箱のようで楽しいです。
持田 さん
同じ本でも、読み手によって印象が全然違うので、そこも楽しみのひとつですね。
山形 さん
私の場合は、子どもの頃から家に本がなくて、親に読み聞かせてもらうこともあまりありませんでした。ちょうどゲームボーイが流行している頃で、ゲームやアニメを観ることの方が多かったんです。親も共働きで忙しくしていたので、寂しい気持ちはありましたね。ただ、そういった環境で育っていたからこそ、大きくなって子どもが生まれたら、自分は本をたくさん読んであげたいなという気持ちがありました。それで子どもが産まれてからは、絵本を図書館で借りて毎晩読み聞かせをしました。今でも、小学生の子どもに「本を読んであげようか」と声をかけると、「読んで欲しい」というときがあります。中学生になった上の子どもも、近くにいながら耳を少し傾けていることがあります。
あんぱん文庫を始める前は、この子たちが小さい頃に読んでいた本をロールパン文庫へ寄贈していたのですが、子どもがこちらへ来た時に、「ああこれ覚えてる!」と懐かしんでいて、2~3歳の頃に読み聞かせていた本を未だに覚えているというのが母親としても嬉しかったですし、これから大人になっても、大変な時や苦しい時に私の声を思い出して欲しいですね。
Q:山形さんがあんぱん文庫を開いたきっかけはなんでしょうか?
山形 さん
小松原先生に背中を押されたのがきっかけなのですが、もし近くに本をたくさん読める場所があって、気軽に借りることもできたら、地域のお母さん方も、そのお子さんも絶対に喜ぶと思ったからです。本を読み聞かせたくても、子どもを抱えたり、真夏の暑い中ベビーカーを押したりして図書館まで歩いていくのはとても大変だった思い出があるからです。家庭文庫の活動が親子の絆につながればいいなと思っています。あんぱん文庫はコロナ禍も相まってまだまだ地域に浸透していませんが、ねりま地域文庫読書サークル連絡会の仲間であるお母さん方が本を借りに来てくださったりして、そういった風景を眺めること自体が楽しいですし、本を借りてもらえると、「ああ、家に置いてあるよりも本が喜んでる」と感じます。
岸田 さん
私は、以前は書店で働いていたのですが、雑誌を探しにきているような若いカップルが児童書売り場を通りかかって、「あ、この本読んでもらったなあ」「懐かしい」なんて言いながらぱらぱらとめくっている光景がよく見受けられました。やっぱり人って、幼い頃に読み聞かせてもらった本を大きくなっても覚えているんだなと感じましたね。
その人たちが将来親になった時に、自分がしてもらったように自分の子どもにも読み聞かせをしてあげてほしいな、という想いがあります。
書店で働いている頃から、訪れた子どもと話したり、仕事の合間を縫って読み聞かせをしてあげたり、後ろを歩いて付いてくる子どもに本棚へ本を戻す仕事を軽く手伝って貰ったりと、触れ合う機会は多かったのですが、書店を辞めてからは子どもと関われる機会が少なくなってしまったので、こうして家庭文庫に関わることが出来て良かったと思います。ロールパン文庫の存在はホームページで知りました。
小松原 さん
こういった出会いもあるので、ホームページを作っていて良かったなと思っています。
山形 さん
あんぱん文庫でもインスタグラムをはじめました。
片岡 さん
私はいぬいとみこ先生のムーシカ文庫にも行かせて頂いておりました。当時、上の子どもが小学一年生になるタイミングで練馬に越してきたのですが、時間のある下の子ども二人を連れてきていましたね。ロールパン文庫では、私だけ皆さんよりさらに上の世代なのですが、何かお手伝いさせて頂けるといいなという気持ちできております。私は人との交流が大好きなので、いぬい先生のところでお手伝い頂いた方との交流も懐かしいですし、今でもこういったやわらかい雰囲気の中に入れさせて頂けるということも、また、子どもと触れ合えて私自身が元気を貰えているということも、良かったと思います。
小松原 さん
子どもが一生懸命におはなしを聞いている姿を眺めていると、こちらも嬉しくなりますよね。
片岡 さん
やっぱり人の一生って、素敵だなあって思います。それぞれみんな違う道をまわり、違う刺激を受けていくのでしょうけど、その素敵だなあって思う回数が多ければ多いほど幸せなのではないかと思います。特にこういったところで、物語や人の温かみに触れて育った子どもたちはいいなと感じますね。
Q:「ねりま地域文庫読書サークル連絡会」はどうでしょうか?
北 さん
私は、自分が小学校へ通っていた頃、図書室で貸し出しの係をしていた光景をよく思い出します。図書室や、借りていた本の『運命の女王クレオパトラ』とか『黒いチューリップ』のことなどを。
学校の図書室は一般的に、地域や小学校に通う子どもの親が立ち入って本を借りることはできませんが、私の子どもが近くの小学校へ入学すると、そこでは、大人も赤ちゃんも図書室で本を選び、借り、読むことができました。
練馬区では、図書館から遠い地域の学校を地域の人に開放する「図書館開放」の事業が行われていて、その学校の子どもはもちろん、地域の方皆が利用することができます。放課後や土日など、児童の利用のない時間帯ですが。
そのうれしい開放で本を借りていくうち、貸し出す側の図書のおばさんになり、文庫の仲間が集まる「ねりま文庫連絡会」に入り、世話人になって、今に至っています。
小松原さんと出会ったのは、文庫連の40周年記念として光が丘図書館で文庫展を開催した時です。
こうして本に囲まれた楽しい雰囲気の中にいるだけでも幸せですし、まだまだ読んだことのない本をこれからもたくさん読みたいなと思っています。
その場所に子どもが気軽に来られて、月に一度のおはなし会に参加する、こういった環境が身近にあるというのは本当に素晴らしいことだと思います。
文庫にはさまざまな形があるのですが、ロールパン文庫はテーマを決めることなく本を持ち寄ります。メンバーの皆さんが個性豊かにいろんな絵本や紙芝居を選ぶのも、おもしろくてわくわくして、見て聞いて見入ってしまうのは子どもも大人もいっしょです。
小松原 さん
新しく参加する親子には、最初に「ここは自由な場所です」と伝えます。図書館のように「静かにして」とは言いません。「危ないことをしない限りはお子様を自由にしてください」と、お母さんやお父さんにはお伝えします。騒ごうが、泣こうが、大丈夫です。ここにいる大人たちは強いので。たまに誰も聞いていない状態でおはなしを読むこともあります(笑)。子どもって、走り回ったり騒いだりしながらもちょくちょく本を覗きにきたり、興味を示すんですね。断片的に聞きとっているのではないかと思います。また、これまでずっと走り回っていたような子どもが、ある日突然座って静かに聞いていたりすると嬉しいですね。感動します。
Q:「ねりま地域文庫読書サークル連絡会」について、くわしく教えていただけますか?
木村 さん
今年で創立53年になります。この文庫連という組織は、日本中にありますが、最初にできたのがこのねりま文庫連なのです。最初に作ってくださった初代代表の方はもうすでにご逝去されていて、二代目の方もかなりのご高齢でいらっしゃいます。三代目の方も一年半ほど前にご逝去されています。世話人の方、そして世話人を支えてくださっている方々が、「文庫連をなくしてなるものか」という想いで奮闘してくださったおかげで、50年という節目を過ぎた今でも、こうして続けることができているのです。文庫連では、10年毎の節目に記念誌を作っているのですが、これは講演会の記録や、歴史、子どもと本をつなぐことの意義などが書かれている冊子です。
Q:具体的にどういったご活動をされているのでしょうか?
木村 さん
家庭文庫や地域文庫の活動があっての文庫連で、四つの活動の柱を立てています。一つ目はメンバー同士の「交流」。二つ目が子どもと本をつなぐ立場として必要な知識を取り入れる「学習」。三つ目が「公共図書館の充実」。そして数年前に新たに加えられた四つ目の柱が、「学校図書館の充実」です。この学校図書館の充実は、時流とともに学校図書館司書の配置を、色々な方が要望されるようになったことがきっかけです。
公共図書館の充実だけでは、子どもの読書環境に必要なことを網羅できない、ということで学校図書館の充実が柱に入りました。この四つの柱が活動を決定しています。
ですが、何より大切なのは、ひとつひとつの文庫さんが、ひとりひとりの会員さんが、また図書館で働く方々が、気持ちよく活動や仕事をしていける環境にあることです。活動していく中で、困ったことや悩むことも出てきますが、例えば小松原さんが「今日はこんな素敵なことがあったのよ」と気軽に教えてくださるような、嬉しいことの共有が自然にある場所が文庫連だと考えています。年に一度“文庫交流会”を開催し、そこではそれぞれの文庫さんや会員さんや、練馬区立図書館の児童担当職員のみなさんが集まり、その一年間にどんなことがあったかというお話をお互いに共有し合います。そうすると、もちろん「こういう困ったことがあった」というお声も挙がるのですが、だいたいの方が「こんなにいいことがあった」と仰るのです。私はそれが一番大切なことだと考えています。そういった楽しみや愛情を共有し合うことによって、自分たちの活動に誇りを持つことができるからです。それをまた、各々が自分の文庫や職場へ持ち帰ったとき、誰と共有するかというと、そこに訪れた子どもたちや、保護者の方や交流会に来られなかったみなさんです。そうやってどこかであった素敵なことが広がっていくのです。これが本当の意味での交流ではないかと、私は思います。
Q:公共と民間がひとつになっているのですね?
木村 さん
そうですね。民間と公共がお互いの存在を知っている。認めて良くして行こうということは昨日今日では絶対にできないことです。それは、私たちも知らない前の世代、先々代の創立時の方々の努力によった、行政への働かけがあったからこそです。
北 さん
そのひとつが、「練馬地域文庫等助成要綱」で、練馬区図書館から団体貸出を受けられるようになったり、本の援助をしてもらえることになったりしたことです。
小さな文庫にたくさんの本を置けるようになりました。
小松原 さん
ロールパン文庫に置いてある5000冊の中にも、どれだけ図書館から頂いた本があるか分かりません。これも文庫連のおかげです。
圧巻の本棚です!
木村 さん
やはり最初に行政へ要望しつづけた方々の努力の賜物ですね。行政側から毎年欠かさず「今年は助成本はどうしますか?」と聞いてくださることは、他の自治体からするとめずらしいのではないでしょうか。行政が一緒に歩んでくれることはありがたいなと思います。
小松原 さん
ちなみに、文庫連を立ち上げた最初の年、第一回文庫連講演会の時にゲストとしてご講演されていたのが、いぬいとみこ先生です。いぬい先生は日本で初めて、長編児童文学を書いた方です。
木村 さん
いぬい先生の講演会が文庫連の学習、講演会のおおもとになったと個人的には思います。
Q:皆さんにとっての練馬区の魅力も、そういったところにつながってくるのでしょうか?
小松原 さん
そうですね。よく仰られるのが、「自分が小さい頃に近くにこんな文庫があったら」ということです。実は私は中野区出身なのですが、練馬区とは道一本分ほどの距離で育っています。だから、練馬区でいぬい先生が文庫を開いたときに通うことができたのです。この経験が人生を変えたといいますか、いぬい先生のムーシカ文庫がなかったら今の自分はないと言えるほど強い影響を受けていますし、さきほど申し上げた通り、私だけでなく、色々な職業に就いた同窓生が口を揃えてそう仰っています。本当に、本や子どもと直接関係のないご職業の方も、みんなそう言います。
Q:練馬区にはどれぐらいの家庭文庫があるのでしょうか?
小松原 さん
今はここロールパン文庫と、こひつじ文庫、それから山形さんのあんぱん文庫ぐらいだと思いますが、昔はもっとたくさんありました。いぬい先生のように作家が開くということは特殊な例で、普通のおばさんが自宅で文庫を開いて本を貸し出すということが多かったと思います。ただ今考えてみると、練馬区にはゆかりのある文化人が多いですよね。もしかすると、そういった部分も関係しているのかもしれませんね。
木村 さん
正確な数字は今この場で確認できませんが、文庫が一番多かった時期は50軒ほどあったようです。そういう時代もあれば、数が減ってしまう時代もある。ただ、今は小松原さんのおかげというか、影響を受けて新しい文庫を開く方が出てきてくださっています。波はあっても、誰かが伝えてくれれば、またそれを誰かが受信してくれれば、ずっとつながってゆくのだと思います。
小松原 さん
練馬区に住んでいなければ文庫を開かなかったという方も、きっと多いのではないでしょうか。
木村 さん
見えないところで歴史の原点と今はつながっているのだと思います。種を撒いてくれた方々がいて、その種を何代もかけて増やして、また撒いて。それが底力になっているのです。私たちにとってはいぬいとみこ先生や、文庫連の先達たち。もっと大きく見れば、ジャンルを問わず、文化人の坩堝であるこの練馬の底力が、今の私たち民間の活動を支えているのではないかと感じます。